いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

2008-01-01から1年間の記事一覧

私を見捨てず、語りかけてくださる主

主は言われる。わたしは生きている。 すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。 ローマ14:11 未信者の友人から、こんなメールをいただきました。 「ふと思ったのですが、貴女は、イエスを信じているのではなく、自分自身…

悔い改めによって、神にきよめられる

心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。マタイ5:8 ある姉妹(女性クリスチャン)が手術のため入院されました。 私自身の体調が回復したら、見舞いに行きたいと祈り、ようやく一週間後に手作りのお菓子を用意して、病院を訪問することができまし…

子どものように空を見上げる平安

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。マルコ10:15 「少年の頃、私はよく、寝る前に、夏の暖かな草の上にねころんで星空をじっと見たものだ。 自分が小さく感じられたの…

信仰によって約束のものを手に入れる

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることは…

愛は人の徳を建てる

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。Ⅰコリント8:1 このみことばは、一読すれば納得でき、特に首をかしげるようなものではありません。 しかし、なぜ「知識」と「愛」が、あたかも対極にあるかのように対比されているのでしょう。 私たちは知識を愛…

正義感と怒り、という悪魔のサイクル

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ヤコブ1:20 「人を動かす原動力って何だと思いますか。」 「そうねぇ。誰かを喜ばせたいという善意?」 「僕は怒りだと思うんですよ。」 随分以前のことですが、こんな会話をしたことを思い出します。 確…

地上でしか味わえない幸い

私たちクリスチャンは、地上のいのちを果たし終えれば、天に帰り、主イエス様の御顔を仰ぎ見ることができ、永遠に主とともに過ごすことが約束されています。 そこでは、喜びと賛美が永遠に尽きることがありません。 神は彼らとともに住み、彼らはその民とな…

今日一日、ただ忠実であること

もし、あなたがたが、私の命じるこのすべての命令を忠実に守り行ない、あなたがたの神、主を愛して、主のすべての道に歩み、主にすがるなら、主はこれらの国々をことごとくあなたがたの前から追い払い、あなたがたは、自分たちよりも大きくて強い国々を占領…

人生最大の不幸

私は潔白だ。しかし、私には自分自身がわからない。私は自分のいのちをいとう。ヨブ記9:21 ヨブは、神の民ではありませんでしたが、常に神を恐れ、悪から遠ざかっていました。 しかし、そんな潔白で正しいヨブに、次々と災難が降りかかりました。 10人の子…

信仰とは、ただ信頼すること

ひとつのことを主から示されたとき、主がどんなに私のことを心にかけて、覚え続けてきてくださったかを胸に浸みて教えられ、人知をはるかに超えた主の愛に打ち砕かれました。 マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の…

曇った目と、ひねくれた心

「純粋に中立などという立場はない」ということなら、若い頃から教えられていました。 いったい何をもって右寄りなのか、どこからが左寄りなのか。 ただ「私という裁判官」が、「中立であると信じていること」だけが、「中立」なのでした。 そこでパウロは…

キリストのゆえの祝福

ようやく導かれた再就職先を、わずか数ヶ月で退職することになり、就職活動を再開することになりました。 そして、さっそく不採用通知が届きました。 主は何のために、たった数ヶ月の就職に導かれたのだろう。正社員を目指すことは、みこころではないのだろ…

罪人こそ救われる

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マルコ2:17 私の母は、「自分は正しく生きてきたので、当然、天国に行くことができる」と豪語しています。この恐るべき傲慢さは、…

神は不公平か

私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。 その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルは…

失望病からの解放

彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。Ⅰペテロ2:6 信仰を与えられて7年。私の信仰者としての歩みは、失望の連続と言っても過言ではありません。 しかし、最近、ようやく失望病の原因がわかってきました。 失望とは、私の期待、私の計画、私の…

神の子どもとされる特権

「あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所…

十字架の血による平和

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。ルカ9:23-24 私たちの集会は人数も…

自分の十字架を負う

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。ルカ14:27 十字架、それは、肉体的な痛みと、精神的な辱め、さらに、父なる神様から捨てられるという霊的な闇、あらゆる試練と苦難の象徴であると同時に、そこまでの犠…

愛は神から出ている

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。Ⅰヨハネ4:10 自分自身よりも、主を愛さなければならない、と教えられ、自分自身を愛するよりも、主を愛したいと…

自分自身よりも、主を愛するということ

たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。Ⅰコリント13:2 完全な信仰があっても、愛がないなら何の値打ちもないという、このみ…

「善人たち」に十字架につけられた主イエス様

神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。 「あなたは、どこにいるのか。」 彼は答えた。 「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」 すると、仰せになった。 「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたの…

神の愛に応えて進み続ける

ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。ヤコブ2:20 遠方の友人から一通のメールが届きました。 かつての同志が大腸がんで長らく入院されているという知らせでした。病床の彼はクリスチャンホームの子どもですが、…

神の謙遜

それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。それで、イエ…

愛なる主に信頼し、従い続ける

エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。使徒1:4 主の御声に聞き従って仕事を捨て、間もなく一年半になろうとしています。 次に進むべき道も、主は必ず開いてくださると信じて、就職試験を受けてきました。結果は連戦連敗です。こ…

神に喜ばれるささげもの

しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」Ⅰサムエル16:7 「クリスチャンになるには、良い行いをする人にならなければならな…

貧乏くさい歩み

少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。Ⅱコリント9:6 持ち家を売り出した時、私はすでに転居していましたが、所有権の住所変更登記を省略すれば、登記費用が「節約」できると考えていました。私はそれを「賢い方法」だ…

愛ゆえの勇気を支えてくださる神

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。イザヤ41:10 このみことばは、私が救われて、初めて与えられたみことばでした。 救われた翌朝、自分の「救い」に確信が持てず、信仰告白して良いものかどうか躊躇していた私…

父なる神様との幸いな交わり

イエスは彼に言われた。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6 集会に神様を求めて集ってくださっている求道者の方が、こんな話をしてくださいました。 「…