いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

神の愛に応えて進み続ける

 

 ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。ヤコブ2:20

 遠方の友人から一通のメールが届きました。

 かつての同志が大腸がんで長らく入院されているという知らせでした。病床の彼はクリスチャンホームの子どもですが、そのメールからは、彼が本当にイエス様を自分の救い主として信じているかどうか、わかりませんでした。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

 私は彼に会いに行くべきだろうか…、十年以上も会っておらず、個人的な交わりもない彼のところに、私などがのこのこ出かけていくのは僭越に過ぎるのではないか…。思い悩みながら、主のみこころを尋ねて祈っていました。

 そんなとき、マザーテレサの言葉に出会いました。

 「不親切で冷淡でありながら奇蹟をおこなうよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたい。」

 私は「神のみこころ」だけを行いたいと願っていました。みこころでないことを行えば、必ず失敗して、痛い思いをしなければなりません。私はわずかな経験から、そのことを悟っていました。

 けれど、私はあまりにも失敗を恐れる余り、一歩も前に進めなくなっていた自分を見出しました。神様の強力な押し出しがなければ、何もできないと思い込んでいました。

 しかし、神様は私をロボットのようにリモコン操作することを望んではおられませんでした。私が神様の愛を受けて、その愛に応えようと自ら応答していくことを主は望んでおられました。愛とは、自発的なものでなければ意味がありません。

 もし私のしようとする行いが、みこころでなければ、主はその道をふさいでくださいます。

 主を愛して行ったことであれば、失敗したとしても、私の心をご存知の主は、それをも益として、私の成長のために用いてくださるでしょう。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ8:28

 主の恵みによって、私は2度も、片道7時間の彼の病床を訪ねることが許されました。

 その後、私には就職先も与えられ、一年半の失業生活も終えることが許されました。これでもう、彼を訪ねることはできなくなったと思っていましたが、主は不思議な方法で3度目の訪問の道も開いてくださいました。

 彼はまだ主イエス様を、自分の救い主として信じることは難しいと言っていますが、福音メッセージのCDを少しずつ聞いてくださっています。

 彼は寝返りを打つこともできず、絶えることのない痛みと闘っておられますが、私は彼に会うたびに、そこに主がともにおられ、彼を本当に愛して支えていてくださることを覚え、感謝で満たされます。

 主は必ず彼の心を開いて、神様が生きておられること、そして神様が彼のことを、ひとり子を十字架におかけになったほどに愛しておられることを、信じさせてくださるでしょう。

 彼のために、各地で多くのクリスチャンたちが祈ってくださっています。そして、何よりも、私たちの主イエス様が彼のためにとりなしの祈りをささげてくださっています。

 私たちはこの祈りを通して、主の大いなるみわざを見ることができ、本当に感謝です。

 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。

 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。ヘブル7:24-25

 

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