いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

キリストの御顔にある慈しみ深い眼差し

クリスチャンではないある知人が、DVDを貸してくださいました。 キリストの復活後を描いた最近の映画で、その名も「復活」。 クリスチャンの目には、?と思う点もなくはないのですが、なかなか興味深い作品でした。 何より、心に留まったのは、クリフ・カー…

権利ではなく恵みであるということ

権利という言葉が好きになれません。 権利という発想には、神に対する反逆の匂いがします。 それは人間的というよりも、むしろ機械的な思考ではないかと感じます。 電車にお腹の大きな妊婦さんが乗ってきたら、「大変ですね。こちらにお掛けください。」と言…

信じて仰ぎ見る

するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。ルカ9:16 これは、イエス様が男だけで五千人もの人々を満腹させたときのお話です。 短い記事ですが、じっくり読むと、しみじみ味…

自分のいのちを捨てる恵み

わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。ヨハネ10:17 このみことばは、文字通りに取ると、実に奇妙であることに、ふと気付かされました。 つまり、「捨てるもの=自分のいのち」であり、「再び…

神様の御心の中にいる平安

私は愚か者なので、残念ながら、神様のみこころを理解することができません。 かつて神様のみこころと、3年半以上、確信していたことは、無残にもついえました。 かくして、私にとって、神様との交わりは、冷え冷えとした空疎なものに変わりました。 神様の…

神様の御心がなりますように

かつて、私がまだ聖書に触れていなかった頃、観光で神社仏閣を訪れれば、当然のように、手を合わせて、願い事をしていました。 ある時、私に「何を願ったのか?」と尋ねる方があり、「みんなが幸せになりますように」と願ったと答えると、目を丸くして、驚か…

主の御許に憩う

私は一つのことを主に願った。 私はそれを求めている。 私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。 主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。 詩篇27:4 私たちクリスチャンは、この地上にあって、神様から離れて、生活をしています。 ヨ…

死者は過去に対して死んでいる

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 IIコリント5:17 死者とは、生前の有り様から完全に切り離され、不可逆的に、すべてを終えた者です。 「キリストにある死者」で…

死者を復活させる福音

もし、あなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。 キ…

義の訓練

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 IIテモテ3:16-17 確かに神様は実に日常的な、あらゆる出来事を通して、私…

苦難の日に

私たちは時に苦難に出会う。 冷静に自分が犯してきた罪を覚えるなら、苦難に会うのは当然のことと、しみじみと理解する。 しかし、苦難の日は決して多くはなく、これまで多くの平穏な日々が与えられてきたことを思う。 どれほど分不相応な恵みが注がれてきた…

不幸のはじまり

「神が人の生活の中から出て行くとき、不道徳が入って来る。」ウォッチマン・ニー 感謝が人の生活の中から出て行くとき、不幸が入って来る。

主を畏れかしこむ生活

その御名は聖く、そのあわれみは、主を畏れかしこむ者に、代々にわたって及びます。ルカ1:49.50 万物の創造者なる神を、私の主として受け容れたしもべならだれでも、主を畏れかしこむ生活に歩むはずです。そうでないなら、私は本当には、主を知らないのです…

墓穴に入らずんば、よみがえりを得ず

ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。ヨハネ20:4 マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。ヨハネ20:11 私たちは遅かれ、早かれ、墓に連れていかれます。墓の中にあるのは「死」です。私たちは…