いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

信仰によって約束のものを手に入れる

 

 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

ヘブル10:35-11:1

 風邪で2週間近く、微熱が引かず、身体がだるくて、ほとんど動くことができません。

 こんな厄介な風邪は初めてですが、本当に厄介なのは不信仰の方でした。

 どうせ元気になっても、仕事があるわけじゃないし…。治らなくても、誰も困らないし…。治っても、治らなくても、どっちでもいい…。

 それは、主のみこころに委ねるのとは、まるで異なる開き直りでした。

 効率第一主義の申し子のように生きてきました。

 いかに最少労力で、短期的に最大の結果を出すか、そればかりを追い求めて生きてきました。

 時間、労力、財力など、ある程度の投資を試みて、一定の手応えがなければ、すぐに撤収しました。それ以上の投資は、無駄と思われたからです。

 そうした生き方は、あたかも私が何事にも成功を収めているかのように見せかけてくれました。

 そんな私に、主は何度も同じみことばを示されました。

 神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。使徒26:8

 神様の約束は、必ず成就します。

 しかし、それがいつ成就するか、主の時は、多くの場合、隠されています。

 私たちは、この「神の約束」に、「信仰」で応答します。

 人間関係がそうであるように、「約束」に応答する方法は、「信仰」しかありません。

 「信仰」がなければ、「約束」は成就しません。「神の救い」も、「信仰」という応答があって、初めて現実のものとなります。

 例え、神の約束が死んでいるように見えたとしても、神はよみがえらせることがおできになります。

 あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。申命記13:3

 銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。箴言17:3

 価値あるものは、精錬により、不純物を取り除かれ、より純度の高いものへと鍛え上げられます。

 父なる神様にとって、私たちは、そのように価値のあるものと認められていることは本当に感謝です。

 「信仰はただ持っているだけではだめで、働かせなければならない」と語られた兄弟(男性クリスチャン)がいました。

 私たちは初めに、イエス様を神の御子また私の主であると、信仰を持ったとき救われます。そして、クリスチャンとして歩むということは、その最初の信仰を働かせ続けることでした。

 主イエス様との歩みは、まさしく「信仰に始まり、信仰に進ませる(ローマ1:17)」ものでした。

 父なる神様、どうか私があなたの約束に疑いを抱いたり、諦めたりすることなく、あなたこそ、すべてのことを完全に成し遂げられるお方であることに確信を持ち、あなたの約束に安息することができますように。

 あなたの時が訪れるまで、忍耐と望みを持って、祈り求め続けることができますように助けてください。

 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。

 彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。

 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。

 それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

ヘブル11:17-19