恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。イザヤ41:10
このみことばは、私が救われて、初めて与えられたみことばでした。
救われた翌朝、自分の「救い」に確信が持てず、信仰告白して良いものかどうか躊躇していた私に、そのみことばは衝撃的な力を与えてくれました。
養老孟司さんが通っていたカトリック系男子校の教師は、いつも「お前たちは勇気を持て」と教えられたそうです。
曰く、男の子は、放っておけば臆病で引っ込み思案になり、女の子は、放っておけば元気で活発になる。だから、「男の子は男らしく。女の子は女らしく」という教育が必要なのだ、と。
そして、「勇気」とは、見えない暗闇に向かって、一歩を踏み出すことだと、その教師は教えられたそうです。
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」ヨハネ20:29
戦時中、イエス・キリストを証することは、文字通り命懸けでした。しかし、信仰に堅く立ったクリスチャンたちの中には、乳飲み子を抱えた20代の姉妹たちもおられたそうです。
戦前、戦後、多くの宣教師たちが、飢え渇いた日本の魂のために、海を渡って来日されましたが、彼らの多くは日本語を学んだこともない若き独身でした。
「主よ。もしこのような条件を満たしてくださるのなら、私はあなたに献身します」と、彼らは言いませんでした。
しかし、我が身の状態を顧みず、ただただ主への溢れる愛から、自ら献身していった兄弟たち(男性クリスチャン)を、主は豊かに祝福され、彼らのすべての必要を満たし、宣教のために大いに用いてくださいました。
愛なる主は、主を愛し、主に信頼して、主にすべてを捧げた兄弟姉妹に、さらに大きな愛をもって応えてくださる御方でした。
私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。
「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」イザヤ6:8