いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

貧乏くさい歩み

 

 少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。Ⅱコリント9:6

 持ち家を売り出した時、私はすでに転居していましたが、所有権の住所変更登記を省略すれば、登記費用が「節約」できると考えていました。私はそれを「賢い方法」だと思い、こうした小さな「節約」の積み重ねによって、主への豊かな献金ができるのだと思っていました。

 しかし神は、こんな私に悔い改めをお命じになりました。私が「賢い方法」だと思い込んでいたことは、確かに法務局で堂々と公表できるような振る舞いではありませんでした。

 このような「暗やみのわざ(エペソ5:11)」によって得たお金を捧げたとしても、主はお喜びにはなりませんでした。

 聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。

 わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。

 いけにえのことで、あなたを責めるのではない。

 あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。

 わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。

 わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。詩篇50:7-12

 このことを通して、「人間の知恵」とは、何と貧乏くさいものかと痛感させられました。

 人がその小さな頭で一生懸命考えて、最善を尽くしたつもりでも、神の御前には、何と愚かしく悲しむべき捧げものでしょう。私は心ではなく、目に見えるもの、数字で表現できるものを捧げようとしていました。

 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。

 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。

 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」ルカ21:1-4

 このやもめは、事実として貧乏でしたが、その歩みは、決して「貧乏くさく」ありませんでした。彼女は、神を心から愛し、神はまことに「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方(エペソ3:20)」であることを信頼し、お金ではなく、その心を捧げられました。

 貧乏くさい知恵、貧乏くさい判断、貧乏くさい祈り…。私の中から出てくるものは、とことん貧乏くさいものしかないと教えられました。

 そして、貧乏くさい「私の考え」、「私の期待」を持つことによって、むしろ神の全能の御力を制限してしまってきたことに気づかされました。

 どうか私が心からの悔い改めを持って、「私自身」を捨て、あなたのご計画を私の喜びとし、従順に従っていくことができますように。

 アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。

 しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。マルコ14:36

 

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