いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

人を自分よりもすぐれた者と思いなさい

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。ローマ12:10 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。ピリピ2:3 長らく、他の人を「自分より…

小賢しい信仰

私は自分の信仰生活を振り返り、大いなる自戒を込めて、「小賢しい信仰」と命名しました。 様々な経験を重ね、聖書知識を増し加え、日々の諸問題に対処する秘訣のようなものを、自分なりに獲得しました。 色々な兄弟姉妹や、その働きを見ては、「あれは聖書…

私はいい人

唐突ですが、あなたはいい人ですか。 「あの人は、いい人だ。」などと人は時々、口にします。 しかし、いい人(良い人)とは何か、という定義はほとんど顧みられることはありません。強いて言えば、「親切な人」といったところでしょうか。 もし私が、「あな…

「自分の義」を捨てる

あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。ヨブ27:5 実に考えさせられる聖書の一節です。 ヨブは神ご自身から、「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪か…

平和とは謙遜の実である

今さらと言えば、あまりにも今さらですが、この世界には、謙遜と傲慢しかないのではないかと気付きました。 それは傲慢から出たものでしょうか? それとも謙遜から出たものでしょうか? 「『パンセ』で極める人間学」鹿島茂著によれば、人間は「とにかく自分…

愛とは謙遜の実である

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ13:34 クリスチャンであるあなたは、このみことばを聴いて、どんな気持ちを抱かれるでしょうか。恥ずかしながら…

被害者意識は地獄の門

初めの人アダムは、神である主が「 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2:17)」と命じられた木の実を食べました。 その後、神である主が、「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教…

「キリストのかおり」か「人間臭」か

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのか…

天と地は「水」でつながっている

初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 創世記1:1-2 この光景を想像できるでしょうか。 恐らく、人の目には何も見えないでしょう。光がないのですから。 しかし、そこには確かに、…

生活の中での福音の証し

リモート礼拝、Zoom伝道。 クリスチャンの信仰が、どんどんバーチャルなものになっていくことに私は戦慄を覚えます。 新型コロナが登場する半年ほど前、私は一つの夢を見ました。 近隣で行われている伝道集会に集うために集会所に入ると、そこにはわずか…

「思い込み」という牢獄

「神の家」の定義とは何でしょうか。 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」マタイ18:20 キリストの御名において、キリストのもとに集う集まり。 御子はそのからだである教会のかしらです。コロサイ1:18 キ…

リモート化する信仰

コロナ禍で、私たちクリスチャンは、何ができるのでしょうか。 何をなすべきでしょうか。 1年ほど前、突然、私たちにコロナ禍が降りかかった時、私たちは振るわれました。 それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなた…

「AIパウロ」

「AIパウロ」について、考えさせられています。 「AIパウロ」とは、私の想像上の産物で、クリスチャン向けの、聖書に特化した対話型人工知能アシスタントです。 「ヘイ!パウロ」と語り掛ければ、間髪入れずに、聖書的な模範解答を与えてくれます。 「ヘイ!…

悔い改めて、生きよ

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。箴言17:1 シンプルですが、実に深いみことばと考えさせられます。 ここには、平和の本質が描かれていると思います。 私はこのところ、ずっと「キリストの平和」について、…

自分を捨て、自分の十字架を負うとは

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。マタイ16:24 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。マルコ8:34 だれでもわた…

福音に始まり、福音にとどまり続ける

キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。ガラテヤ5:1 イエス・キリストは十字架の御苦しみを通して、罪の奴隷(ローマ6:6)であっ…

「みことばに忠実」とは

みことばに忠実な神の家が建てられることを切実に願っていました。 それは、私自身がそのようではない聖書メッセージを聞いて、信仰を持ち、すぐに歩めなくなってしまったからです。 それは、端的に言うなら、ご利益宗教に近い「福音」でした。 イエス・キリ…

新型コロナウィルスと高ぶりの罪

主様は、なぜコロナ禍を許されたのでしょうか。 なぜ今なお、コロナ禍を許し続けておられるのでしょうか。 そのことを考え続けるうちに、聖書の中で、ツァラアト(らい病)が罪の型であったように、新型コロナウィルスもまた私たちの罪の型なのではないかと…

透き通った信仰

あなたはどんなクリスチャンになりたいと思いますか。 私には、憧れる多くの先人たちがあります。 私はカトリックではありませんが、映画ブラザー・サン シスター・ムーンで見たアッシジの聖フランチェスコ、第2次世界大戦時にナチスのアウシュビッツ強制収…

下がれ。サタン。

「下がれ。サタン。」とは、あまり穏やかなメッセージではありません。 しかし最近、様々な局面で、このみことばを思い起こしています。 そもそも、このみことばは、どのような状況で発せられたのかを覚えてみたいと思います。 その時から、イエス・キリスト…

謙遜とは、行いではなく人格である

みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。Ⅰペテロ5:5 謙遜とは、何でしょうか。 辞書によれば、「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」「自分の能力・価値などを低く評価する…

愚かさの自覚こそ 福音の狭き門の入り口

確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。箴言30:2 信仰生活を重ねてきて、今、ようやくたどり着いた地平は、上記のみことばです。 人にとって、最も幸いなことは、このみことばを真に自分のこととして理解することではないかと思うの…

福音によって歩む

このところ、ひたすら福音について、考え続けています。 福音とは、恐らく、私たちクリスチャンが「知っている」と思っているよりも、もっと深く、さらに尊く、壮絶な破壊力を持ったものなのだと思うのです。 私たちクリスチャンは、「福音の奥義(エペソ6:1…

福音との闘い

あなたは「福音と闘った」、あるいは「福音と格闘した」経験がおありでしょうか。 それは、「福音のための闘い」ではなく、「福音を妨げるものとの闘い」でもありません。 まさしく「神の福音」そのものとの闘いです。 イエスは彼らに答えて言われた。「この…

善行という罪

彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」I列王記19:4 鬱(うつ)という状態を自分なりに定義してみました。 「うつとは、極度の心身の疲労と緊…

似て非なる信仰

求めなさい。そうすれば与えられます。マタイ7:7 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。マタイ21:22 キリストにあるひとりの姉妹に、初めての子どもが与えられました。 まだ1歳にも満たない幼子です。 姉妹は日々、初めての子育てに四…

死に至るまでのへりくだり

今年3月末、無期雇用転換ルールの施行を目前に、5年弱働いた勤め先を雇い止めされました。 もはや年齢的にも、事務職は狭き門で、止む無く、経験のない看護助手の仕事に就きました。 しかし、重症心身障害者病棟の仕事は、私の想像を超えた過酷な労働で、持…

かわいそうに思い

「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、…

キリストの御顔にある慈しみ深い眼差し

クリスチャンではないある知人が、DVDを貸してくださいました。 キリストの復活後を描いた最近の映画で、その名も「復活」。 クリスチャンの目には、?と思う点もなくはないのですが、なかなか興味深い作品でした。 何より、心に留まったのは、クリフ・カー…

権利ではなく恵みであるということ

権利という言葉が好きになれません。 権利という発想には、神に対する反逆の匂いがします。 それは人間的というよりも、むしろ機械的な思考ではないかと感じます。 電車にお腹の大きな妊婦さんが乗ってきたら、「大変ですね。こちらにお掛けください。」と言…