いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

失望病からの解放

 

 彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。Ⅰペテロ2:6

 信仰を与えられて7年。私の信仰者としての歩みは、失望の連続と言っても過言ではありません。

 しかし、最近、ようやく失望病の原因がわかってきました。

 失望とは、私の期待、私の計画、私の考えと異なる状況に遭遇したときに起きます。

 私たちは何かを行うときに、無意識のうちに費用対効果を計算しています。払った労力、投資に対して、期待すべき結果が得られないと失望し、「なぜこんな結果になってしまうのか」とつぶやいてしまうのです。

 人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。箴言19:21

 人生は決して自分の思い通りには運びません。それは、私の人生を支配しているのは、私ではなく、全能者なる神ご自身だからです。

 しかし、愛なる神は、いつも失望する私に、私の思いをはるかに超えた「神の方法」で、解決を与えてきてくださいました。そして、「私の方法」ではなく、「神の方法」が最善であったことを思い知らされます。

 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

 「目に見えるもの」に目を留めているときも、容易に失望してしまいます。「目に見えるもの」は、すべて移ろい行くものだからです。

 私たちは、目に見えるものをお造りになった、目に見えない神ご自身にこそ目を留めます。この方は、すべての基であり、永遠から永遠まで存在され、揺れ動くことのない唯一のお方だからです。

 失望しないために、まず「自分自身」を捨てること。

 そして、「目に見えない神ご自身」が私のすべての必要を満たしてくださる方であることを喜び、この神に信頼し、期待し、子どものように純真な思いで従っていくことを、もう一度、覚えたいと思います。

 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

 それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。ローマ4:18-22

 

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