いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

信仰とは、ただ信頼すること

 

 ひとつのことを主から示されたとき、主がどんなに私のことを心にかけて、覚え続けてきてくださったかを胸に浸みて教えられ、人知をはるかに超えた主の愛に打ち砕かれました。

 マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」

 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」

 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」ヨハネ11:21-27

 マルタは、兄弟ラザロが病にかかったとき、イエスのもとに使いを送りましたが、イエスはすぐに駆けつけることをしませんでした。数日が過ぎ、イエスが訪ねたときには、既にラザロは死んでいました。

 マルタはイエスを愛していました。そして、イエスが何でもできることを知っていました。そして、イエスが救い主キリストであることも信じていました。

 けれど、それはいわば「頭の中の理解」に過ぎませんでした。イエスはその信仰をどんなに悲しんでおられたことでしょう。

 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。

 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」

 死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」

 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」

 そこで、彼らは石を取りのけた。

 イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」

 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」

 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。

 イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。ヨハネ11:38-45

 マルタの心には、不信仰という大きな石がありました。その石の奥には、腐り果てた疑いが入っていました。マルタ自身も、そのことを知りませんでした。しかし、主だけがすべてをご存知でした。

 マルタは自分の力で、その石を取り除けることはできませんでした。

 しかし、ラザロのよみがえりを目の当たりにしたとき、マルタの心の中の石は、完全に打ち砕かれました。

 私は主の恵みによってあからさまにされた腐り果てた不信仰を、心から主の御前に詫び、悔い改めました。信仰とは、信頼、ただ信頼なのだと。

 信頼に値するお方だと、心から思えなければ、誰もついていくことはできません。私はある部分では信頼し、また別の部分では信頼していませんでした。

 私は主が、私の中の隠された不信仰を打ち砕いてくださったことを心から感謝しています。

 この先、どんなことが待ち受けているかはわかりませんが、私の残された人生を、ただこの主にお捧げして、どこまでも従っていきたいと心から願っています。

 イスラエルの神、万軍の主よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、『わたしが、あなたのために家を建てる。』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。

 今、神、主よ。あなたこそ神であられます。あなたのおことばはまことです。あなたは、このしもべに、この良いことを約束してくださいました。

 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。神、主よ。あなたが、約束されました。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです。」Ⅱサムエル7:27-29

 

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