いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

子どものように空を見上げる平安

 

 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。マルコ10:15

 「少年の頃、私はよく、寝る前に、夏の暖かな草の上にねころんで星空をじっと見たものだ。

 自分が小さく感じられたのを覚えている。またその感覚を気に入っていたことも覚えている。

 それは、私自身が心地よく納まることのできる何か大きなもの、私よりもはるかに大きな存在があることを知っていたからだと思う。」

 『アダムの沈黙』ラリー・クラブ著より引用

 この一節を読みながら、子どもの頃の素朴な心をしばし思い起こしました。

 抜けるような青空、空の大きさ、空の高さ、少しずつ形を変えながら流れていく雲、暮れなずむ夕陽の深紅…、決して同じ姿のない芸術作品のような空の美しさを見つめて、深く嘆息しました。

 あの頃、私たちは、私たちを守っていてくれる何かを持っていました。そして純粋に、その不思議な何かに信頼し、その穏やかな温かさの中に憩っていました。

 私たちはいつ、その安息から迷い出てしまったのでしょうか。

 いつから、自分の身は、自分で守らなければならないと考えてしまうようになったのでしょうか。

 世界が私にとって単純な善ではなく、脅威であるとしたら、心の休まるときはなくなります。

 休息を得るために、信頼できる人を探すべきでしょうか。

 しかし、残念なことに私は、私自身がいかに信用ならない、いい加減で移ろいやすい者であるかを知っています。私自身がそうである以上、人にそれを求めるべきではないでしょう。

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28

 主イエス様は、こんな救いのない私たちのために、地上に下って来られ、素晴らしいメッセージを告げ知らせてくださいました。

 私たちを包んでいてくださる大きな存在、今も宇宙にある様々な脅威から私たちを守り、太陽の恵みや、雨の潤い、いのちを保つ空気を、与えていてくださるお方が、休みを得なさいと語りかけていてくださいます。

 自分の弱さ、小ささ、無力さばかりに目を留めていれば、涙のかれることはありません。

 けれど、大きな空を見上げたとき、確かに私よりもはるかに偉大な存在があり、そのお方は限りなく大きな愛で私を包んでいてくださることを思い出すことができます。

 そのとき、ちっぽけな自分にこだわる思いから解放され、大きな愛にくるまれている自分の小ささを喜び、まったき平安に立ち返ることができます。

 この偉大なる創造主である父なる神様と、私たちに救いの道を開いてくださった御子イエス様が、とこしえにほめたたえられますように。

 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。詩篇19:1

 

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