いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

苦難の中で勝利者として喜び踊る

終わりの時代を歩む私たちの目の前には、様々な混乱があります。 世の欲の氾濫する中で、クリスチャンたちまでも、「自分を愛する者(Ⅱテモテ3:2)」、「神よりも快楽を愛する者(Ⅱテモテ3:4)」、「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者(Ⅱテ…

悔い改めという特権にあずかる

一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。 第一のものの名はピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。その地の金は、良質で、また、そこには、ブドラフとしまめのうもある。 …

偶像礼拝からの解放

人となられた主イエス様のもとには、多くの人が会いに出かけました。 そこには、満足のいく解決を「与えられた者」と、解決を「得られなかった者」がいました。 ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることが…

神の栄光を現わすとは

「神の栄光」とは、いったいどのようなものでしょうか。 「神の栄光が現わされるとき」とは、どんなときでしょうか。 私は長い間、「神の栄光」という言葉の中に、漠然と、神の光輝く素晴らしさが明らかにされる、見目麗しく、喜びに満ちたイメージを抱いて…

「キリストの無力さ」を身に着る

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分た…

イエスのいのちによって論理を突破する

そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。 創世記2:25 神がお造りになった最初の人アダムとその妻は、裸でした。 彼らは着物を着ていませんでしたが、「非常によかった(創世記1:31)」のです。彼ら自身も、互いに…