いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

2020-01-01から1年間の記事一覧

「AIパウロ」

「AIパウロ」について、考えさせられています。 「AIパウロ」とは、私の想像上の産物で、クリスチャン向けの、聖書に特化した対話型人工知能アシスタントです。 「ヘイ!パウロ」と語り掛ければ、間髪入れずに、聖書的な模範解答を与えてくれます。 「ヘイ!…

悔い改めて、生きよ

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。箴言17:1 シンプルですが、実に深いみことばと考えさせられます。 ここには、平和の本質が描かれていると思います。 私はこのところ、ずっと「キリストの平和」について、…

自分を捨て、自分の十字架を負うとは

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。マタイ16:24 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。マルコ8:34 だれでもわた…

福音に始まり、福音にとどまり続ける

キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。ガラテヤ5:1 イエス・キリストは十字架の御苦しみを通して、罪の奴隷(ローマ6:6)であっ…

「みことばに忠実」とは

みことばに忠実な神の家が建てられることを切実に願っていました。 それは、私自身がそのようではない聖書メッセージを聞いて、信仰を持ち、すぐに歩めなくなってしまったからです。 それは、端的に言うなら、ご利益宗教に近い「福音」でした。 イエス・キリ…

新型コロナウィルスと高ぶりの罪

主様は、なぜコロナ禍を許されたのでしょうか。 なぜ今なお、コロナ禍を許し続けておられるのでしょうか。 そのことを考え続けるうちに、聖書の中で、ツァラアト(らい病)が罪の型であったように、新型コロナウィルスもまた私たちの罪の型なのではないかと…

透き通った信仰

あなたはどんなクリスチャンになりたいと思いますか。 私には、憧れる多くの先人たちがあります。 私はカトリックではありませんが、映画ブラザー・サン シスター・ムーンで見たアッシジの聖フランチェスコ、第2次世界大戦時にナチスのアウシュビッツ強制収…

下がれ。サタン。

「下がれ。サタン。」とは、あまり穏やかなメッセージではありません。 しかし最近、様々な局面で、このみことばを思い起こしています。 そもそも、このみことばは、どのような状況で発せられたのかを覚えてみたいと思います。 その時から、イエス・キリスト…

謙遜とは、行いではなく人格である

みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。Ⅰペテロ5:5 謙遜とは、何でしょうか。 辞書によれば、「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」「自分の能力・価値などを低く評価する…

愚かさの自覚こそ 福音の狭き門の入り口

確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。箴言30:2 信仰生活を重ねてきて、今、ようやくたどり着いた地平は、上記のみことばです。 人にとって、最も幸いなことは、このみことばを真に自分のこととして理解することではないかと思うの…

福音によって歩む

このところ、ひたすら福音について、考え続けています。 福音とは、恐らく、私たちクリスチャンが「知っている」と思っているよりも、もっと深く、さらに尊く、壮絶な破壊力を持ったものなのだと思うのです。 私たちクリスチャンは、「福音の奥義(エペソ6:1…

福音との闘い

あなたは「福音と闘った」、あるいは「福音と格闘した」経験がおありでしょうか。 それは、「福音のための闘い」ではなく、「福音を妨げるものとの闘い」でもありません。 まさしく「神の福音」そのものとの闘いです。 イエスは彼らに答えて言われた。「この…