いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

かわいそうに思い

「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
ルカ10:30-37

 

俗に「良きサマリヤ人」と呼ばれているこの物語の登場人物は、①強盗ども、②強盗に襲われた人、③祭司、④レビ人、⑤サマリヤ人、⑥宿屋の主人、です。

あなたはどの人物に最も近いでしょうか。

 

さて、私は3月末で5年近く働いてきた職場をクビになりました。

この4月から、いわゆる「5年ルール(無期転換ルール)」が施行されます。1年契約などの短期雇用契約を5年繰り返すと、労働者は正社員のように無期雇用への変更を申請できるという制度です。

多くの経営者は、これを避けるため、4月に勤続5年以上になる短期契約労働者を3月末で、「契約満了」という言葉を盾に、クビにしてしまうようです。

20年以上も働き続けてきた職場をクビになるという悲惨な話も報道されていました。

いったい、クビにされる労働者の今後の生活を考えたことがあるのでしょうか。

クビにされた労働者にとって、生計をどうやって立てて行くのかは、大きな問題ですが、これまで一生懸命に働いてきた職場から、ぼろ雑巾のような扱いを受けた衝撃は、計り知れないダメージを与えました。人間不信に陥りました。

もう若くないぼろ雑巾の再就職は難航を極めています。

 

そんな中、ある面接先の人事担当者が、「労働者のためだとか言って、結局こういうことになっちゃうんだよな。同じ職場で働き続けたかっただろうに。」と、親身な言葉をかけてくださり、涙がこぼれそうなほど慰められました。

その面接先も希望条件が合わず、再就職はかないませんでしたが、こんな温かいお方にお会いできただけでも、心底、嬉しく思いました。

そして、冒頭のみことばを思い起こしました。

「かわいそう思い」

主イエス様は、様々な場面で「かわいそうに」思い、行動を起こされました。

これまで、何ということもない修飾語のように感じていましたが、「かわいそうに思う」というのは、実に深い同情心、人の痛みを我が痛みのように感じることのできる想像力、思いやりなのだと、気付きました。

 

見て見ぬ振りをした祭司、レビ人は、実は私たちの姿です。

強盗に襲われて瀕死の状態の人もまた私たちの姿です。

そして、何の縁もゆかりもないのに、ただかわいそうに思い、大きな犠牲を払って、救いの手を差し伸べたサマリヤ人こそ、主イエス様です。

主イエス様は、ご自分を苦しめ、殺す者たちのために、祈られました。

「父よ。彼らの罪を赦してください。」

本当に、このお方こそ、生けるまことの神様です。

苦しみと悲しみの中で、主イエス様をさらに深く知ることができる幸いを感謝します。

この素晴らしい主イエス様の御名がとこしえにほめたたえられますように。