「神の家」の定義とは何でしょうか。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」マタイ18:20
キリストの御名において、キリストのもとに集う集まり。
御子はそのからだである教会のかしらです。コロサイ1:18
キリストを唯一のかしらとする集まり。
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ13:34-35
キリストが愛されたように、互いに愛し合う集まり。
足りない頭で、要約すると「神の家とは、キリストの御名によって、キリストをかしらとして、互いに愛し合う集まり」と言えるでしょうか。
今、私たちの集まりは、それを体現できているでしょうか。
弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。使途6:1
「大きな集まりは祝福されている」と考える人もいますが、規模が大きくなるほど、本質的ではない問題が増えてくるように感じます。
互いにあいさつをかわしなさい。ローマ16:16他
大きな集まりでは、全員に挨拶することは困難との考えからなのか、多くの人はあいさつしないことが習慣になってしまっているように感じます。
みな互いに謙遜を身に着けなさい。Ⅰペテロ5:5
互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。ローマ12:10他
私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。ローマ14:13
互いにつぶやき合ってはいけません。ヤコブ5:9
互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。コロサイ3:13
互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。ヤコブ5:16
大きな集まりでは、奉仕する人と、参加する人の分業化が始まり、同じ思いを持つことが困難になっていきます。
聞くだけの人は、立派な律法学者のようになりがちで、他の人を評価したり、足りない点を指摘・指導することで、自分の信仰に満足するようになっていきます。
さばかれたと感じる人は、集まりから心身が離れていきます。
お互いの間に平和を保ちなさい。Ⅰテサロニケ5:13
お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。ローマ14:19
愛をもって互いに仕えなさい。ガラテヤ5:13
賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。Ⅰペテロ4:10
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。エペソ 4:32
互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。Ⅰテサロニケ5:11
互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。ガラテヤ6:2
私たちの集まりは、本当に聖書に描かれたような神様の喜ばれる集まりになっているでしょうか。
私は自分自身の愚かさと、無力さゆえに、ただ絶望するばかりです。
いったいどうして、神の家にこのような悲しむべきものがあるのでしょうか。
その原因のひとつに、「思い込み」があるのではないかと思うようになりました。
「思い込み」「思い違い」「考え違い」「履き違い」「勘違い」「妄信」…。
それは、他ならぬ私自身のうちにあり、私が最善と信じてきた考え方、方法、行いが、数年を経て、まったく的外れであったことに気付かされることが、あまりにも多いと感じているからです。
いったい「私は思い込みの激しい人間だ」と自覚している人は、この世にいるでしょうか。
おそらく誰もいないのではないかと思います。
しかし、「私は思い込みの激しい人間ではない」というその考え、まさしくそれこそが「思い込みの本質」ではないでしょうか。
職場でこんな事例がありました。
私はAさんから、「Bさんが仕事が多くて大変だと言っている」と聞きました。実際、私がBさんに任せていた仕事はまだできていませんでした。
そんな中、CさんがBさんに飛び込みで仕事を依頼したため、私はBさんの負荷が増えないように「追加案件は私がやります」と引き受けました。
後日、Cさんは私に「あなたは良いと思い込んでいるかもしれないが、あなたのしていることはBさんの仕事を奪うことだ」とお叱りを受けました。
つくづく「思い込み」について、考えさせられました。
確かに私は、Aさんの言葉に基づいて、「思い込み」を形成しました。私は、Bさんに現状を確認し、Bさん自身のニーズを聴き、対応すべきでした。
Cさんは、「私の思い込み」を指摘してくださいましたが、Cさん自身もBさんの状況を把握しないまま「仕事を奪っている」という「思い込み」を形成していたのではないかと思いました。
「思い込み」とは、悪意ではありません。
むしろ善意である、というより「正義感」から生じているのではないでしょうか。それゆえ「思い込み」は非常に危険で厄介なものになります。
「正義感の強い人」とは、「思い込みの激しい人」と言えるかも知れません。
サウロもその典型でした。
サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。使途9:1-2
サウロはイスラエルの神様を激しく愛していたので、「神を騙(かた)るイエスとその信者」を決して許すことができなかったのではないかと思います。
しかし、それはサウロの「思い込み」「思い違い」「勘違い」に過ぎませんでした。
サウロは「この世の愚か者」ではありませんでした。
私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。ガラテヤ1:14
サウロは聖書にも、先祖からの伝承にも精通していました。
ここにサウロのつまづきの原因がありました。サウロは多くの知識があったが故に、「盲目な者」となったのです。
「私は知っている」「私にはわかっている」という「思い込み」「過信」がサウロの心に入り込んでしまったのです。
私たちは、「良いと言い切れないこと」を行うときには、他者の許可や同意を求めます。
例えば、電車の中で、「暑いので、窓を開けてもいいですか?」など。
しかし、「良いこと」を行うときには、いちいち他者の許可や同意など求めないのではないでしょうか。
「これだけ暑いのだから、皆、誰かに窓を開けて欲しいと思っているだろう。窓を開けてあげることは良いことだ。」と思い込んでいれば、進んで窓を開けます。
本人は、皆のために少しばかりの犠牲を払って、良いことをしてあげたと満足しています。
確かに、心地よい風に癒される人がいるかも知れません。
しかし、風で読んでいる書物がめくれたり、帽子が飛ばされたりするかも知れません。
問題は、「『良いこと』を確信してしまう(思い込んでしまう)」ことにあるのではないかと思います。
私たちは、神でもないのに、「真に良いこと」を確信することはできないのではないでしょうか。
愚かな私たちの考えは、神様の考える「最善の策」とははるかに異なる「次善の策」に過ぎないと思うのです。
自分の考えを「最善の策」と思い込むのは傲慢でしかありません。
「最善の策」と思い込むとき、それは傍若無人な独善的な行いとなり、周りばかりでなく本人も、「これだけしてあげたのに…」と最悪な結末となります。
「思い込み」は自分自身には見えません。自分に見えていない「思い込み」にどうしたら気付くことができるでしょう。
「良いこと」を確信してしまうとき、おのずと「…してあげる」という言葉になります。私たちのうちで、「…してあげよう」という思いが芽生えたら、「それは本当に相手が望んでいることなのだろうか?」「私の押し売りや思い込みではないだろうか?」と、冷静に吟味することが必要かもしれません。
そして、へりくだって、相手の許可や同意を求めること。
私たちは、「良いこと(と思うこと)」をするときほど、最も謙遜でなければならないのではないでしょうか。
「…してあげる」ではなく、「…させていただいてもよろしいでしょうか」。
私たちは「自分のしたこと」を喜ぶのではありません。
「相手の喜びをともに分かち合うことを喜びとする」のです。
残念ながら私は、生涯、「思い込み」から逃れることはできないでしょう。
しかし、「私は思い込みの激しい人間である」と自覚し、常に神様の前に、また人の前にへりくだって耳を傾けることができます。
「思い込み」ほど恐ろしく、悲劇的なものはありません。
「思い込み」は人を滅ぼします。
「思い込み」は神の家の交わりを破壊します。
「思い込み」は、無知によって生じます。
私たちは聖書を柔らかい心で、繰り返し読むことによって、無知からくる「思い込み」から解放されなければなりません。
「思い込み」は、傲慢のあるところに生じます。
どれほど聖書に精通したとしても、「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。Ⅰコリント8:2」ということを肝に銘じ、自分では決して気付くことのできない「思い込み」から解放されるように、主様のあわれみを乞い続けなければならないのだと教えられます。
どうか盲目な私たちが、いつも御前にへりくだって、神の家と神の御業を破壊してしまう「思い込み」から解放されますように。
あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。ヨハネ9:41
『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』使途22:13