いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

福音によって歩む

このところ、ひたすら福音について、考え続けています。

 

福音とは、恐らく、私たちクリスチャンが「知っている」と思っているよりも、もっと深く、さらに尊く、壮絶な破壊力を持ったものなのだと思うのです。

 

私たちクリスチャンは、「福音の奥義(エペソ6:19)」をあまりにも知らなさすぎるので、この悪魔が支配する地上において、福音の恵みのほんの一部しか享受することができず、多くの、実に多くの利益を遺失しているのではないでしょうか。

 

本当に日々、揺るぎのない喜びと平安の中に歩んでいるクリスチャンは、どれくらいいるでしょうか。

 

聖書には、多くの勧めがあります。

クリスチャンなら、誰でもそのみことばに心を留めて、その勧めを実行しようと心掛けます。

 

しかし、私はその時に、しばしば自分の中に「白く塗った墓」を見るのです。

 

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。マタイ23:27-28

 

時に、内側では「何て失礼な人だろう!」と思っていても、外側では微笑んで親切にするのです。

 

いったい、これは「福音」でしょうか?

違います!

これは断じて、福音ではありません。

福音とは何の縁もゆかりもない単なる「偽善」です。

 

そもそも福音とは、何だったでしょうか。

 

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。Iコリント15:1-5

 

福音とは、すべてキリストのみわざです。一から十まで、完全にキリストが為してくださったことです。私はこの尊い福音に1ミリも関与していません。罪ある私は、この尊いみわざに立ち入ることなど許されていないのです。

 

私たちは、初めにこの意味を、真に深く、悟らなければならないと思います。

私たちが初めの救い「新生」の時に、「この福音を信じる」「神のみことばを信じる」だけで、何もしなかったように、その後の歩みもまた、「この福音を信じる」「神のみことばを信じる」ことに尽きるのです。

 

少し誤解を招く表現かもしれませんが、「私も福音を実行しなければ」などと考えると、福音の持つ破壊力によって、木っ端微塵に吹き飛ばされます。

 

おこがましいにもほどがあります。

福音は、キリストの尊いみわざです。

私たちは福音そのものに、立ち入ることはできないのです。

私たちは「福音を信じ」「福音に従う(ローマ10:16)」ことができるだけです。

 

福音とは、「信じる」ものです。

福音とは、「宣べ伝える」「あかしする」ものです。

 

福音の対義語、反対語とは、何でしょう?

色んな答えができると思いますが、私は福音の対語は「律法」だと思います。

或いは、福音の対語は「偽善」と言うこともできるでしょう。

 

私は、「律法に従って善を行う」、つまり偽善を働くべきでしょうか。

それとも、「福音に従って善を行う」べきでしょうか。

 

繰り返しますが、福音とは「すべてキリストのみわざ」です。

 

「私」が主人公である限り、私は律法の奴隷です。私は祈りつつ、律法に従って孤軍奮闘し、そして得られたみすぼらしい成果を見て、神に感謝しつつ、神の栄光をこっそり盗んで自分に栄光を帰するのです。

なんとみじめな歩みでしょうか。

これは福音ではありません!

 

しかし、私ではなく、「キリスト」が主であるならば、私は福音に従うだけで、キリストのみわざを見ることができるのです。

私たちは福音によって救われたのです。

そして、今も福音によって救われるのです。

キリストがすべてのみわざをなしてくださるのです。

私たちは真にへりくだらなければなりません。私には何事かをする力があるとか、知恵があるなどと馬鹿げたことを考えるべきではありません。

 

私たちは「祝福に満ちた神の、栄光の福音(Iテモテ1:11)」を「福音の奥義(エペソ6:19)」をもっと深みまで知りましょう。

私は日々、主様にこのことをひたすら祈っています。

 

私たちがどれほど愚か者であるかを真に悟ることができるますように。

そして、キリストの福音がどれほど偉大なものであるかをさらに深く知ることができますように。

福音の深みを知り尽くすことによって、福音によって世の光として歩むことができますように。

 

福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。ローマ1:17

 

義人は信仰によって生きるとみことばにあります。

信仰とは「福音を信じること」だと思います。

 

義人は福音によって生きるのです。

私たちクリスチャンは、福音によってのみ生きることが可能です。

福音によらなければ、誰も生きることはできません。

 

私たちが福音の御力を教えられ、悟り、福音によって力強く生かされるとき、福音は前進します。

福音によって歩みましょう。

福音によって生かされましょう。

 

この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。コロサイ1:6