いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

愚かさの自覚こそ 福音の狭き門の入り口

 

確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。箴言30:2

 

信仰生活を重ねてきて、今、ようやくたどり着いた地平は、上記のみことばです。

人にとって、最も幸いなことは、このみことばを真に自分のこととして理解することではないかと思うのです。

おのれの愚かさを、さらに深く知ることができますようにと、私は日々、祈ります。

実にすべての罪や過ちと、恵みの損失は、自分が何か賢い者であるかのように錯覚することに起因するのではないかと感じているからです。

 

人生も後半になると、様々な機能が衰えてきます。

これもまた、神様の恵みです。

私たちは、今まで当たり前にできていたことが、当たり前でなくなった時に初めて、過去の恵みに感謝することができます。

そう悟れば、不自由な今もまた、数年後の私の目には、「恵まれていたあの頃」なのです。

 

いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。Ⅰコリント4:7

 

私たちはみな、愚かで弱くもろい者です。

何か人より少しばかり得意なものがあったとしても、それは神様から与えられた賜物に過ぎません。それは人が自分を誇るためではなく、世に仕えるための賜物でしょう。

 

すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。ルカ12:48

 

愚かさとは、何でしょう。

それは、単に知識や経験が足りないことではありません。

 

すべての人間は愚かで無知だ。エレミヤ10:14、51:17

 

愚かさは、すべての人の性質です。

世の中には、博学な人もいれば、IQの高い人も、様々な分野で熟練の人もいますが、神様の知恵には程遠く、神様の御目には、愚かです。

 

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコ7:20-23

 

「人から出て、人を汚すもの」リストの多くは、明らかに罪とわかるものですが、このリストの最後に「愚かさ」があります。

つまり、「愚かさ」とは、「人を汚す」「悪」であり、「人の心から出てくるもの」なのです。

 

驚くべきことに、愚かさとは、「人の頭の中から出てくるもの」ではないのですね。

すべての人は愚かなのですが、それが心から出てくるとき、最悪なものとなります。

 

幼子は、たいてい愚かなものですが、幼子の愚かさには、どこかほほえましさがあります。それは、幼子の愚かさが「心から出たもの」ではないからでしょう。

幼子は、おのれの愚かさや弱さを知って、何のてらいもなく大人に助けを求めてきます。助けを求められた大人は、喜んで幼子を助けるでしょう。

 

しかし、成長するに従って、私たちの愚かさは変質し、ねじ曲がったものになっていきます。おのれの愚かさを隠ぺいするために、姑息な策を弄するようになります。自分を賢い者であるかのように演出して周囲を欺くうちに、自分自身さえおのれを見失い、どこまでいっても愚か者に過ぎないことを完全に忘れてしまいます。

 

愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。

愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。箴言12:15ー16

 知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。箴言14:16

 

おのれを「少なくともあの人よりは賢い者である」などと思い始めたら、もはや人は何かを新しく学ぶことはなくなり始めます。

何年信仰生活を続けてきたとしても、自分は聖書をよく知っているなどと勘違いし出したら、それ以上、神様の恵みを受け取ることは困難でしょう。

水は、低いところにだけ流れていくものです。

 

思うに、「愚かさ」そのものは罪ではありません。

しかし、「愚かさ」の隠ぺい工作はいけません。それは、高ぶりの罪につながります。愚かさを隠ぺいし続けることは、その人を苦しめ、不幸にします。自縄自縛です。

嘘は他者との親しい交わりをも破壊します。

 

最善の道は、「愚かさの自覚」だと思うのです。

私たちは、「おのれが愚かであることを忘れてしまうほどの愚か者」なのです。

どうか主様が愚かな私たちを憐れんで、私たちがどれほど愚か者であるかをさらに深く教えてくださいますように。

 

「愚かさの自覚」は「福音の狭き門」の入り口です。

おのれの愚かさを知っている幼子は、素直に主イエス・キリストに助けを求めることができます。

 

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ヤコブ1:5

 

おのれの愚かさを知っている幼子は、自分を張りぼて人形のように演出する労苦から解放されます。

人から「愚か者」とそしられる時も、「おっしゃる通り。確かに私は愚か者です。」と素直に認めることができます。

そして喜んで、「しかし、私は救い主なるイエス・キリストを知っています。」と告白することができるでしょう。

福音の狭き門は、取るに足りない小さな幼子しか、通ることができません。

私はこの福音の道を歩みたいと切に願います。

 

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。マタイ11:25-26