もし、あなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
Iコリント15:2-4
私たちの主なる神様は、死んだも同然のアブラハムに、胎の死んだサラを通して、海べの数えきれない砂のように数多い子孫をお与えになりました。
アブラハムは、主なる神様の求めに従い、愛するひとり子であるイサクを死に明け渡すことによって、イサクをよみがえらせていただきました。
聖書の福音とは、究極的に「死んだ者を、よみがえらせる」神の御力なのだと覚えます。
私たちクリスチャンは、「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」でしたが、「キリスト・イエスにおいて、ともに、よみがえらせ」ていただきました。
私たちは、福音によって生まれ、福音によって歩みます。
私たちは、既にキリストとともに死にました。
私たちは絶えず、自分が死んだ者であることを受け入れなければなりません。
死んだ者だけが、よみがえるのです。
もし、私たちが今、福音の恵みを享受していないのであれば、それは私が未だに生きているからです。
福音とは、「死者をよみがえらせる」ものなのです。