2017-03-18 苦難の日に 私たちは時に苦難に出会う。 冷静に自分が犯してきた罪を覚えるなら、苦難に会うのは当然のことと、しみじみと理解する。 しかし、苦難の日は決して多くはなく、これまで多くの平穏な日々が与えられてきたことを思う。 どれほど分不相応な恵みが注がれてきたことだろう。 受けるに値しない者に、一方的に注ぎ出された神の愛、主イエス・キリストの恵み。 苦難の日に、ただ、ただ、感謝。