いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

わたしの足を見なさい

 

 わたしの手やわたしの足を見なさい。ルカ24:39

 

 

 これは、復活された主イエス様が、霊を見ているのだと恐れている弟子たちに告げられたみことばです。

 おそらくそこには、釘づけられた跡があったのでしょう。

 そして、紛れもなく、主イエス様がよみがえられたのだということを示したみことばなのでしょう。

 

 しかし、私はこのみことばから、もう一つのことを考えさせられました。

 

 それは、字義通り、「主イエス様の手と足をよく見る」ということです。

 

 地上でしもべのように仕えられた主イエス様の手と足は、本当によく働きました。

 その足は、乾燥地帯を歩き回り、埃まみれになり、すり傷や切り傷もあったかも知れません。

 

 

 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。ヨハネ13:5

 

 

 私たちは、この主イエス様の手と足を、日々、見ているでしょうか。

 とりわけ足は、衆目を集めにくい、注目度の低いポジションです。

 

 ここに、いつも主イエス様の足を見ていた人がいました。

 ベタニヤのマリヤです。

 

 

 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ルカ10:39

 

 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。

 「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」ヨハネ11:32

 

 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。

 家は香油のかおりでいっぱいになった。ヨハネ12:3

 

 

 足もとにひれ伏す信仰は、マリヤの謙遜の表れでしょう。

 そんなマリヤは、主イエス様の謙遜の象徴である「足」を見つめ、こよなく愛していたのではないでしょうか。

 

 私たちが主イエス様の足元を見るなら、私たちの頭は、おのずと下がります。

 

 

 その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。ルカ7:37-38

 

 「この女を見ましたか。わたしがこの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしが入って来たときから足に口づけしてやめませんでした。あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。ルカ7:44-46

 

 

 この女も、主イエス様の足を見ていました。

 

 

 その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」 ヨハネ1:27

 

 

 バプテスマのヨハネも、主イエス様の足を見ていました。

 

 父なる神様が、この謙遜であられた主イエス様の足を思い、その足を見つめ、その足元にひれ伏し、その御足跡に従う者としてくださいますように。

 

 

 わたしの手やわたしの足を見なさい。ルカ24:39