いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

生きている間に与えられているセカンド・チャンス

  

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

 御子を信じる者はさばかれない。ヨハネ3:16-18

 

 

   聖書には、「御子(イエス・キリスト)」を信じる者は、さばかれることがなく、永遠のいのちを持つと書かれています。

 同時に、キリストを信じない者は、さばかれ、滅びることが証しされています。

  それゆえ、キリストを信じ、さばきを免れた私たちは、すべての人が滅びることなく、永遠のいのちを持つようにと、祈りと伝道に心を砕いています。

 

  世の中には、キリストを信じずに死んでも、死後もう一度、キリストを信じるチャンスがあるという、いわゆる「セカンド・チャンス」を信じている人もあるようですが、聖書全体を読むならば、そのような可能性はないと思われます。

 もしそうだとすれば、滅びる人など、誰もいないでしょう。

 

  

 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。

 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。

 

 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

 

 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』 ルカ16:19-29

 

 

 本当に厳粛な話ですが、いわゆる「セカンド・チャンス」があるならば、死後、神様の御前にへりくだらされたこの金持ちは、救われたでしょう。

 しかし、そこには決して渡ることのできない大きな淵がありました。

 

 

 私たちは、生きているうちに、キリスト・イエスの贖いを信じなければなりません。

 

 

 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。ヨハネ16:9

 

 

 罪とは、キリストと、そのみことばを信じないことです。

 初めの罪とは、アダムが神のみことばを信じなかったことでした。神のみことばを信じなかった結果、善悪の知識の木から実を取って食べました。

 そして、アダムの子孫である私たちは、罪人として生まれ、やはりアダムと同じように神のみことばを信じない者となりました。

 

 しかし、あわれみ深い神様は、私たちにもう一度、神のみことばを信じるチャンスをくださいました。

 

 

 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

 

 キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。 Ⅰコリント15:1-5

 

 

 キリストは、神を無視し、神のみことばを信じなかった私たちの罪のために死んでくださり、葬られ、三日目によみがえられました。

 この神の福音のみことばを信じる者は、救われます。

 これこそ、神のみことばを信じなかった私たちに与えられたセカンド・チャンスです。

 すべての方が、一日も早く、この尊い神のみことばを感謝して、受け取ることができますように。

 

 

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

 御子を信じる者はさばかれない。ヨハネ3:16-18

  

 

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 ヨハネ5:24