いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

傲慢さの自覚

 

 「あの人は傲慢な人だ!」と、聞くことがあります。

 

 そんな言葉を吐いている人こそ、傲慢な人なのではないかと感じるようになりました。

 鼻息荒く、そんな言葉を口にしているその人は、まるで神のようです。

 

 そんな神のような人の姿を見るとき、背筋が凍りつきそうな思いがします。

 

 それは実に私自身の姿でもあります。

 

 いったい、この世に「傲慢でない人」はいるのでしょうか。

 

 あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。エゼキエル28:1-2

 

 自分を神のように高く上げる、「高ぶり」こそ、サタンの起源でした。

 

 そしてサタンは、人を「高ぶり」という誘惑に引き込みました。

 

 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」創世記3:5

 

 「神のようになる」それは何という魅力的で恐ろしい誘惑でしょう。

 

 人類最初の罪は、「高ぶり」であり、人類最後まで残る罪も「高ぶり」であると聞いたことがあります。

 

 すべての人は、「高ぶり」から逃れることはできません。

 

 「私は高ぶりの罪から離れます。」と言うことはできないし、そのような目標を立てて、毎日、サタンに打ち負かされていてはいけないと思うのです。

 

 大切なことは、「私は傲慢な人間である。」という事実を正直に認めること。

 私は死ぬまで、己の傲慢さから逃れることはできないことを認識し、受け止めること。

 

 「私は傲慢な人間ではない。」と思った時から、「高ぶり」は始まると思うのです。

 

 

 「高ぶり」とは、己の価値観を絶対視すること。

 

 絶えず、己のうちにある「高ぶり」を忘れず、自分が思うこと、感じることに、異なった光を当てること。

 願わくば、神の光の中で、すべてのことをわきまえ知ることができますように。