「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。ルカ22:42-44
主日に、伝道者として招かれていた兄弟が、この箇所から、礼拝を捧げられました。
少ししか愛していない者を失う悲しみは、少しの悲しみです。
深く愛している者を失う悲しみは、深い悲しみです。
御子は御父をどんなに深く愛しておられたことでしょう。
御子にとって、御父を失い、交わりを断絶されることは、死ぬほどの悲しみでした。
御父にとっても、この杯を取りのけてくださいと、もだえ苦しむ愛する御子の祈りを聞きながら、それでもなお十字架におかけになる痛み悲しみは、いかばかりであったことでしょう。
私はその香り高い礼拝に触れ、激しくインスパイアされました。
この御子と御父のあまりにも深い愛の絆。まったき信頼関係。
それは「完全なる一」の姿でした。
キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方のみこころによったのです。ガラテヤ1:4
御父が、御子を十字架に渡されたのは、私たちの罪を完全に処罰するためであり、そうして私たちをきよめて、今の悪の世界から救い出してくださるためでした。
御子は、その御父のみこころを完全に理解していました。
そして、御父とまったくひとつの心を持って、そのことを実現しようと決意され、罪と汚れに満ちた悪の世界に下ってきてくださいました。
わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。 ヨハネ6:38-40
御子は、自分の幸せのために、自分が栄えるために、地上に来られたのではありませんでした。また、自己実現のために、来られたのでもありませんでした。
御子はただ、ひたすら御父のみこころをなし遂げるために、「御父のみこころ」ただ一点に完全に焦点を絞って、いのちを使い果たされました。
この御子の、断固たる決意を伴った、御父に対する「完全なる服従」、まったき従順。それは、御父に、「完全なる自由」を与えるものでした。
御父は、御子の自発的な意志に基づく「完全なる服従」のゆえに、あの恐ろしい十字架のさばきを、何の躊躇も、容赦もなく、完全に成し遂げることができたのです。
もしここに、ほんのわずかでも「疑い」や「憂い」が入り込んでいたなら、そのさばきの手は緩まり、みわざを完全に成し遂げることなどできなかったでしょう。
この御子が、御父に与えておられた「完全なる自由」。
それは、目には見えない「完全なささげ物」でした。
御父の愛から切り離されるという恐ろしい代償を払ってでも、御父のみこころが成し遂げられるために、どうしても避けることのできない杯であるなら、どうぞこの霊・たましい・からだを、どのようにでも、自由にお用いになってください。
それは、御子の御父に対する、一点の曇りもない愛に基づく、まったき信頼でした。
そして、私たち罪人を救わんがための、私たちに対するまったき愛の現われでした。
ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。
「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」
すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした。」と言い、また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました。」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。
このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。ヘブル10:5-10
この御子と御父の間にある、まったき愛、まったき信頼関係、「完全なる一」は、何と麗しく、私たちの心を洗いきよめてくれることでしょう。
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。
「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。
聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。
わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。
また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。
それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。
それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。
あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。
それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」ヨハネ17:1-26
私たちの贖い主、イエス様は、この「御子と御父にある完全なる一」の中に、私たちをも加え入れてくださいました。
私たちは、「キリストのうちにいる(Ⅰヨハネ5:20)」者として、「御父との完全な一」の中に、愛によって置かれています。
神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。Ⅰテサロニケ4:3
私たちは、この「御父との聖なる一」の中に、キリストの愛によって守られているのです。
神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。
それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。エペソ1:3-10
主よ。あなたのまったき従順は、御父のみこころを完全に成就するために、なくてはならないものでした。
あなたの御父に対するまったき愛、信頼、敬虔こそ、御父のみこころを完成する「最後の一滴」でした。
この注ぎのささげ物がなければ、私たちは御父の愛を知ることがなく、自分の罪の中で滅んでいたことでしょう。
主よ。どうぞ小さな私たちを、あなたのまったき従順のうちに浸し、溶け込ませ、一つにしてください。
あなたの愛こそ、完全な愛。あなたの従順こそ、完全な従順です。
あなたがきよい神のしもべを多く得られることによって、御父のみこころが地上に迅速に完全に成し遂げられますように。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。ピリピ2:6-18