「わたしはあなたがたを愛している。」と主は仰せられる。
あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。」と。
「エサウはヤコブの兄ではなかったか。―主の御告げ。―わたしはヤコブを愛した。マラキ1:2
主様は、私たちを愛されました。
「長男」、「男子の初子」は、どこの国であっても、特別の祝福を受けるものです。
日本においても、ほんの少し前までは、その家のすべての財産を継ぐのは、「長男」と相場が決まっていました。
しかし主様は、通常、顧みられることのない、「弟」のヤコブを愛されました。
あなたの町囲みのうちにいるレビ人をないがしろにしてはならない。彼には、あなたのうちにあって相続地の割り当てがないからである。
三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。
あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。
あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。
そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。
あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。
ただ、あなたは、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令を守り行なわなければならない。
あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。申命記14:27-15:8
神のいつくしみ深い御目は、常に、「貧しい者」、「弱い者」に、注がれています。
「貧しい者」は、決して、主様に忘れ去られることがありません。
主様はいつも、「貧しい者たち」の城壁となり、「貧しい者たち」を守り続けてくださいます。
そして、「貧しい者たち」を顧みて、自ら進んで手を開き、分け与える者たちをも、決して貧しくされることはなく、豊かに祝福してくださいます。
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」ルカ4:18-21
主イエス様は、「貧しい人々」に、福音を伝えるために、地上にお越しくださいました。
「捕われ人」、「盲人」、「しいたげられている人」に、主の恵みを告げ知らせるために、お出でくださいました。
貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。ルカ6:20
主様による「地球経営」の方法は、まったく私の理解を超えています。
そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。創世記1:3
神である主は、天地万物の造り主でいらっしゃいます。
おことばひとつで、無から有を呼び出すことのできる唯一のお方です。
もし創造主であられるこのお方が、「パンよ。あれ。」と仰せられれば、パンはできるのです。
「金よ。あれ。」と仰せになれば、お金もできるのです。
神である主は、このように、誰の協力も必要とせず、ただおひとりで、おことばひとつで、「貧しい者」を養うことがおできになるのです。
「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」ルカ18:22
しかし主イエス様は、ただおひとりで、「貧しい者」を養うのではなく、私たちが自ら進んで手を開くことを通して、私たちの小さな犠牲を通して、「貧しい人々」を助けることを、お望みになられます。こうして私たちが互いに愛し合うことを、何よりも喜ばれるのです。
あなたがた自身の愛の真実を確かめたいのです。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。
すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。Ⅱコリント8:8-9
これが私の理解をはるかに超えた、主イエス様の「地球経営」の方法です。
神である主は、おことばひとつで、人類の罪を帳消しにすることも、或いは、できたかも知れません。
しかしそれでは、愚かな私たちは、罪の忌まわしさ、おぞましさ、重大さを悟ることもなく、「どうせ赦されるのだから」と、平然と罪を犯し続けてしまうでしょう。
神の御子・主イエス様は、私たちの罪のために、そのきよいからだを罪人たちの手にお任せになり、いばらの冠で傷つけられ、つばきされ、こぶしで打たれ、鞭打たれ、十字架に釘付けられて苦しめられ、血を流され、私たちの醜い罪から来る恐ろしい報酬を、完全に舐め尽くしてくださいました。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。Ⅰペテロ2:21-24
キリストの打ち傷によって、私たちはいやされました。
キリストの打ち傷によって、私たちに罪から来る報いの恐ろしさがわかったのです。
キリストの打ち傷によって、私たちの身代わりとなってくださったキリストの愛がわかったのです。
キリストの貧しさによって、私たちは富む者とされました。
すべての富を自由に創造できるこのお方が、何の価値もない私たちのために、反抗する民、反逆する罪人たちであった私たちのために、ご自身のすべてをお与えくださったのです。
与え尽くされたキリストの貧しさによって、私たちに愛がわかったのです。
彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。マタイ26:26-28
主イエス様は、私たちの罪のために、きよい御からだを、いさぎよく裂かれました。
主イエス様は、私たちの罪が赦されるために、尊い御血を、惜しみなく流されました。
私たちは主日ごとに、裂かれたパンの痛み、注ぎ出されたぶどうの苦しみの「かぐわしい実」を味わい、主様の御死を覚え、霊を満たされます。
この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。ヨハネ19:28
祭りの終わりの大いなる日に、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」と、大声で呼ばわられた主イエス様は、私たちの罪のために、渇き切ってくださいました。
それは、キリストの渇きによって、私たちの「心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7:38)」ためでした。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:6-11
神であられるお方が、なぜこのように罪人である私たちに、ご自身をお与えくださったのか、私には理解ができません。
これはあまりにも不合理です。あまりにも理不尽です。
これがキリストの愛です。
キリストは、この愛の注ぎ尽くしによって、何らかの報酬を得られたのでしょうか。
何もありません。
キリストは、ご自身をすべて与え尽くし、私たちからは、何の対価も要求されることはありません。
これがキリストの愛です。
キリストは、汚れた罪人たちを、花嫁としてお迎えになるために、地にまで下られました。
キリストは、ご自身の御からだを裂き、御血を流して、花嫁を洗い清め、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださいました。
この結婚によって、キリストは何か益を受けるでしょうか。
何もありません。
キリストには、何のメリットもありません。
100対ゼロの愛、この激しいコントラスト、これがキリストの愛です。
愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。雅歌8:6-7
たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。イザヤ54:10
キリストは、その激しい愛によって、私たちを完全に占領することを望んでおられます。
今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。イザヤ43:1
私たちは、このお方によって、この激しい愛によって、占領されましょう。
もはや他の何物にも、何の興味も、何の関心も、消え失せてしまうほどに。
このキリストの愛に、まさる愛はありません。
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。
渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」
アーメン。主イエスよ、来てください。
主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。黙示録22:17-21