いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

神様は「主を知ること」を喜ばれる

 

 

 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。ルカ6:31

 

 このみことばは、愚かな私を、混乱させてきました。
 「私は、りんごが好きだから、他の人にも、りんごを与えれば、きっと喜んでくれるだろう。」といった類の、浅はかな勘違いです。
 言うまでもなく、これは自己中心から出て来る、「自分の価値観の押し付け」です。
 
 たとえ私が「りんご好き」であったとしても、彼は「バナナ好き」かも知れません。さらに彼女は「いちご好き」かも知れません。
 しかし私は、「人の好み」を知らないのです。
 私たちは、「私は知らないことが、たくさんある。」ということを、本当によく知らなければなりません。
 これが、「主を畏れる」ということでしょう。
 
 このみことばの教えているところは、「相手が望んでいること」を行ない、「相手が喜ばないこと」は行なわないということなのでしょう。
 このみことばを、真に実行していくためには、「その人の価値観」、「その人の性質」を、本当によく知らなければなりません。

 

 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。
 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。詩篇147:10-11

 

 私たちクリスチャンは、神様をお喜ばせしたいと願い、熱心に多くのことを行ないます。
 しかし、はたして私たちは、「本当に神様の望んでおられること」を、よくわきまえているでしょうか。
 
 私はしばしば、「馬の力」を誇り、「立派な歩兵」として、「喜んで、熱心に、働いている自分」を見出します。
 しかし、私がどんなに喜んで働いていても、はたして神様は、その働きを喜んでおられるのでしょうか。
 
 神様が好んでおられたのは、「馬の力」や「歩兵」ではなく、「主を畏れる者」、「御恵みを待ち望む者」でした。
 これは、断じて、「行ない」ではありません。「心の態度」なのです。
 「力のない者」にとって、これは真の福音です。

 

 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。―神である主の御告げ。―彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。エゼキエル18:23
 
 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて、生きよ。エゼキエル18:32

 

 神様は、「悔い改めて、生きること」を喜ばれます。
 私は、「馬の力」を誇り、「立派な歩兵」として、神様に仕えようとしていた自分の態度を「悔い改めて」、「生きること」を教えられています。
 私たちは、日々、「悔い改めて」、「生き」なければなりません。

 

 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。マルコ14:31

 

 ストイックな私は、しばしば、「死ぬこと」に快感を覚え、「死ぬこと」に喜びを見出して、「死んだ私」に陶酔し、ただ死んだままで終わってしまいます。
 
 「神様が、『全焼のいけにえ』となられた主イエス様を喜ばれたのなら、私も喜んで、『全焼のいけにえ』となりましょう。どうぞ、この私を『全焼のいけにえ』として、焼き尽くしてください。」と、私は祈っていました。
 しかし、このように傲慢な、「勘違いしもべ」に、主は言われました。

 

 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。Ⅰサムエル15:22
 
 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。ホセア6:6

 

 主は、まったく「全焼のいけにえ」をお求めになっておらず、このように傲慢で、ずうずうしい「いけにえ」は、喜んでもおられませんでした。
 神の御目にかなう「全焼のいけにえ」は、罪も汚れもない小羊のような主イエス様だけでした。そして、それはすでに完了していました。
 主が喜ばれることは、「主の御声に聞き従うこと」、「神を知ること」でした。

 

 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。Ⅰテモテ2:4
 
 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。ヨハネ17:3

 

 神様は、私たちが「真理を知る」、「真理であるイエス・キリストを知る」ことを、何よりも望んでおられ、そのために、私たちクリスチャンに、「神とキリストを知る」ための「永遠のいのち」を、お与えくださっていました。
 
 私たちは、もっと神様とイエス・キリストを知りましょう。
 私たちは、知らなければ、このお方をお喜ばせする方法もわかりません。
 
 しかし神様は、私たちが「神様とイエス・キリストを知ること」を何よりも望み、喜んでくださいます。
 ハレルヤ。このように「何の働きもない者(ローマ4:5)」をも、いつくしみ、あわれんでくださる主の御名をほめたたえよ。
 
 さらに深く、このお方を知り、日々、「このお方を、今日まで充分に知らなかった私」を「悔い改め」、このお方の御力によって、「生かされ」ましょう。
 主は、私たちが「悔い改めて」、「生きる」ことを望んでおられます。

 

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。
 そして、聞く者は生きるのです。ヨハネ5:25
 
 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。ヨハネ6:57
 
 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ヨハネ11:25