あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜わった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。申命記8:10
モーセは、神の民に、多くのことを教えましたが、その中に、「あなたの神、主をほめたたえなければならない」という戒めがありました。
立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。Ⅰ歴代誌23:30
ダビデも、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王としたとき、レビ人たちに、朝に夕に主をほめたたえ、賛美するよう命じました。
私たちは、日々、どれくらい私たちの神、主をほめたたえているでしょうか。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。
このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。エペソ1:3-12
私たちクリスチャンが、神の子とせられたこと、御子の血による贖い、罪の赦しを受けたこと、キリストにあって一つとされ、御国を受け継ぐ者とされたことは、すべて、「神の栄光をほめたたえる者」となるためでした。
私たちは、「みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って」、神をほめたたえているでしょうか。
指揮者のために。主のしもべダビデによる。主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った
彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。詩篇18:1-3
ダビデは、主が敵の手から、自分を救ってくださったとき、主をほめたたえました。
私は、主に助けられたとき、「あー、よかった。」と、ほっと一息ついて満足してしまい、充分に主をほめたたえていない自分を思います。
こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。詩篇43:4-5
しかし、ダビデは、いつも、主のもとへ行き、主をほめたたえました。
目の前には、絶望的な現実がありましたが、彼の目は、絶えず、見えない神である主、「ほめたたえられる方」に向けられ、自分のたましいに、「神を待ち望め」、「神をほめたたえよ」と、叱咤しました。
これこそ、ダビデの力の源でした。
私は、神様に祈る時、多くの困難を申し上げます。あんな問題、こんなすれ違い、知恵の足りないこと…、祈るべきことは数多く、しばしば眉間にしわが寄ってしまいそうになります。
それでも、神様の御前に、お祈りすれば、それらの困難はすべて、神様が引き受けてくださるので、私には平安が与えられることは、本当に感謝なことです。
ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。詩篇146:1-2
しかし、私は、朝の公園で、神に向かって、力強く、賛美の歌を歌うとき、私のうちに、いのちがみなぎり、生き生きとしたいのちに満たされてくることを感じます。
そして、これこそ、ダビデの力の源だと、悟りました。
私たちは、主をほめたたえれば、ほめたたえるほど、神の力に満たされます。
ほめたたえなければ、力は弱くなります。
私たちの力は、神である主と、そのみことばを、ほめたたえることにあります。
「こんな状況で、いったい何を感謝したら良いのか…。」と感じるようなときもありますが、そんな時こそ、ダビデのように、自分のたましいに檄を飛ばし、主をほめたたえましょう。
主をほめたたえた分だけ、私たちは確実に強くされます。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。使徒16:24-26
彼らは、牢に繋がれながら、なお主を賛美することによって、神の力に覆われました。
自分の力が足りないと感じたら、主をほめたたえましょう。
主こそ、わが力、わが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら、です。
主を賛美するとき、私たちは喜びに満たされます。
朝に夕に、測り知れない神の奥義、十字架のみわざを成し遂げられた、「ほめたたえられるべき方」をほめたたえ、この方の御力に満たされて、さらに生き生きと、生かされましょう。
ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき
私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。
私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
「彼らの顔をはずかしめないでください。」この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。詩篇34:1-6