いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

涙とともに種を蒔く

 

 

 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。コロサイ3:2-3

 

 先日、伝道集会が始まる前、数か月の間、集っておられる求道者の方が、あまり交わりのない私に一冊の本を見せてくださいました。
 曰く、「今朝、自宅に山積みになっていた本が雪崩をおこし、ちょうどこの本が飛び出てきた」と。
 それは、「今日のみことば」といった構成の本で、勧められるままに、当日のページを読むと、およそこんなことが書かれていました。
 

 内村鑑三氏が、ある日、師から言われた言葉。
 「君はいつまで自分の魂をいじくり回しているのか。キリストを見上げよ。」
 

 その方から、「いかがですか。」と尋ねられ、「アーメンですね。」とお答えしました。
 生きておられる主は、求道者までお用いになり、私を教え諭してくださいます。
 私は、再び、「自己分析の回路」に入っていたことに気付かされました。

 

 今年初めに父が発病し、毎朝、実家を往復する生活が始まり、私は日々、未信者の両親を通し、自分の傲慢さによって、打ち倒されています。
 とりわけ「あなたはイエス様に似ていない。私の方がよほどイエス様に似ている。」と豪語する母は、私の肉にとっては最悪、しかし霊にとっては「最善の教師」です。
 

 私は毎日、主の御前に「また今日もやってしまいました…。」と、自分の罪を告白し、悔い改めさせられます。
 自分がどれだけ傲慢で、至らない者かという恐ろしい事実を、嫌というほど教えられ、その都度、「私はあのとき、どうすべきだったのだろう。」「最善の方法とは何だろう。」と考えては、実践してみます。
 そして翌日、「これもまた失敗でした…。」と。
 私はとことん「方法論の回路」に入っていました。

 

 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。ヨハネ6:63

 

 主は2年以上前に、私をこの地に住まわせ、いよいよ人々のところに伝道に行くようにと導いておられることを、私は承知しています。
 けれども、これまで見えていなかった自分の姿を知らされれば知らされるほど、とても福音を宣べ伝えるのにふさわしい器ではないことが明白になってきました。
 そして、「まずこの器を改善しなければ、まだまだ出て行くことはできない…。」と、日々、「方法の研究」に励んでいました。
 

 しかし、もし「方法の改善」によって、何ごとかがうまくいったのなら、「私自身に栄光が帰される」ということに目を開かれました。
 私は「自分自身を改良する」ために、いたずらに「自分の魂をいじくり回して」いたのです。
 しかし、「古い私」はすでに死んでいました。

 

 私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。
 しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。ローマ8:12-13

 

 その日の集会後、ある兄弟と交わっていたとき、私の口から、こんな言葉が出てきました。
 「イスラエルの民が、エリコの町を六日間、黙々と回り続けたように、私も出て行かなければならないことを知っています。でも、こんな私が語ると、人がつまずくのです。語れば語るほど、つまずかせてしまうのです。私はむしろ貝になりたいのです。」
 そう言ったとき、思いがけず、私の目から涙が溢れてきました。
 その時、負けず嫌いの私が、自分で気付くことのできなかった感情が解放されました。
 そして、ひとつのみことばを思い出しました。

 

 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。詩篇126:5-6

 

 みことばの種を蒔くのに重要なことは、その人が「ふさわしい器かどうか」ではありませんでした。
 主はどんな粗末な器でも、お用いになることがおできになります。
 大切なことは、種を蒔きに出て行くときに、「涙を伴ったかどうか」なのだと。

 

 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ヨハネ1:13

 

 肉の努力を放棄し、自分を捨て、「みことばの種」と、「己が無力の涙」だけを携えて、風のように、御霊に導かれるままに、神である主に従い、種蒔きに出て行きましょう。
 このお方が生きておられる唯一の神であり、私たちを愛してくださる主なのですから。

 

 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。
 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。伝道者の書11:4-6

 

 少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。Ⅱコリント9:6

 

 

 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。Ⅱコリント9:10