イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。
その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して 全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、 ふさわしいことであったのです。 ヘブル人への手紙2:9-10
「人を見れば失望し、自分を見れば絶望する」。
人は誰も、自分の意思によって生まれたわけではありません。
そのような人間が、人間を見つめていても、生きる意味は決して見出すことができません。
いくら自己を探っていっても、出てくるものは高ぶりか虚無です。
しかし、聖書は神が人を創造され(原因)、神のために人は存在している(目的)と語っています。
神は人が絶望という闇の中にとどまり続けることを望まず、神の子イエスという光を与えてくださいました。
視点を転じて、キリスト・イエスに焦点を当てたとき、絶望という病は、光に照らされ、溶け去るのです。
イエスはまた彼らに語って言われた。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、 決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネの福音書8:12