いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

新しいいのち

 

 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。  マルコの福音書8:35

 

 旧約聖書は歴史書ですが、神の愛と神の人類に対するお取り扱いを、本当に良く教えられる書物です。

 創世記に登場するヤコブという人物は、実に聡明な策略家で、何ごとも思い通りにできる人でした。 神の助けなど必要としない人でした。

 しかし、神はこのヤコブを選び、神の人類の救いのご計画の器とするために、 ヤコブが自分の力で獲得し、保持しようとしてきたものを、とことん剥ぎ取り続けました。

 ヤコブには4人の妻がいましたが、最愛の妻を亡くし、彼女が産んだ子ヨセフまで取られてしまいました。 それはヤコブにとって大きな悲しみでした。

 けれど、神はヤコブに彼女が産んだ残り子ベニヤミンまでも差し出すことを要求されました。

 

 父ヤコブは彼らに言った。「あなたがたはもう、私に子を失わせている。 ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。 こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」創世記42:36

 

 人生は決して思い通りには運びません。

 私の目標、私の計画、私の戦略。それらは何と空しいことでしょう。

 私たちは生涯をかけて、「すべては神による(ローマ11:36)」ということを徹底的に学ばなければなりません。

 

 されば欲する者にも由(よ)らず、走る者にも由(よ)らず  ただ憐れみたまふ神に由(よ)るなり。ローマ9:16(文語訳)

 

 欲する者も、走る者も、決して報いを受けることはありません。「いのちを救おうとする者はそれを失」うのです。

 しかし、ハレルヤ、主を褒め称えよ。「イエスと福音のためにいのちを失う者はそれを救う」のです。

 私は多くのものを主のために捨てたつもりでした。けれど主はそのようなものを求めていたわけではありませんでした。

 主が求めておられたのは、ただひとつ、私の心でした。聖書には「心」という言葉が実に1,079回登場していました。

 

 人はうわべを見るが、主は心を見る。サムエル記第一16:7

 

 わが子よ。汝(なんぢ)の心を我にあたへ 汝の目にわが途(みち)を楽しめ。箴言(しんげん)23:26(文語訳)

 

 どんなに多くを捧げたとしても、もし神よりも愛するものを心のうちに秘めていたとすれば、 それは神にとって何と悲しむべきことでしょう。

 主は私自身気づいていなかった心のうちにあるものを決して見逃されることはありませんでした。

 私の愛する子ベニヤミンは、私のものではありませんでした。主よ、すべてはあなたのものです。 あなたの愛する子ベニヤミンは全能者なる神、あなたに信頼し、あなたにおゆだねします。

 私のホームページは、これで最終回です。これまでご覧くださったすべての方に心から感謝を申し上げます。

 このホームページをご覧いただいたすべての方の上に、聖書のみことばだけがいつまでもとどまり、 主の大いなる恵みと祝福が溢れるばかりに注がれますように。

 

 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。 どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。  ローマ人への手紙11:36