いのちのいずみ

クリスチャン・ブログ

喪失の訓練

 またある役人が、イエスに質問して言った。

 「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。 戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」

 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」

 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。 「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。 そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。  ルカの福音書18:18-23

 

  多くの人にとって、人生の前半は「獲得の過程」です。

 歩けるようになった。話せるようになった。卒業証書を手に入れた。就職先を手に入れた。 人生の伴侶を手に入れた。マイホームを手に入れた。子どもを得た。地位を手に入れた。…

 人生の前半で私は、このまま一生、より多くのものを獲得し、成長し続けるのだと漠然と思っていました。

 しかし、人生の後半に待っていたのは、「喪失の訓練」でした。

 地位を失った。記憶力を失った。体力を失った。職場を失った。家族を失った。貯金を失った。…命を失った。  神の造られた「人の一生の設計図」は、実に思慮深くできています。

 どんなことでも努力すれば自分でできると信じて生きてきましたが、この「喪失の訓練」を通して、 人と助け合うこと、神に拠り頼むことが、どんなに幸いなことであるかを学ぶことができました。

 この役人は、「獲得すること」しか学んでいませんでした。

 しかし、失わなければ、決して得ることのできないものは確かにあるのです。

 

 富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。  貧しいように見せかけ、多くの財産を持つ者がいる。 箴言(しんげん)13:7