そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って 心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを 知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6:31-33
信仰を与えられてから、愛する人を失いました。
信仰を与えられてから、仕事を失いました。
信仰を与えられてから、持ち家を失いました。
信仰を与えられるまでは、「これさえあれば安心」と思えるものを握り締めようとしていました。 「この人さえ、つかまえていれば…」「この仕事さえ掴んでいれば…」「この家さえあれば…」 すがるものを失ったとき、人は本当にもろいものです。
しかし、形あるものはいつか壊れ、やがて消え去ります。
主は私が宝としていた多くのものを、ひとつずつ取り去ってくださいました。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ヨブ記1:21
すがるものを失ったとき、キリスト・イエスだけが残されました。
そして、主はすべての必要を満たしてくださいました。 私たちの主イエス・キリストは、失ったすべての宝に勝っておられました。