ユダヤ人たちは驚いて言った。
「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」
そこでイエスは彼らに答えて言われた。
「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、 わたしが自分から語っているのかがわかります。自分から語る者は、自分の栄光を求めます。 しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。…」 ヨハネの福音書7:15-18
あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。 ヨハネの福音書14:24
イエス・キリストを、「多くの宗教開祖のうちの一人」と思っておられる方は少なくないでしょう。
多くの宗教開祖たちは、この世の苦しみや悲しみ、矛盾に悩み、それらと真摯に向き合い、格闘しながら、 「それぞれの悟り」を開いていかれたのだと思います。
しかし、イエス様は、そのような自己問答の経過を辿られませんでした。
まっすぐに、悩み苦しむ人々のもとへ、助け主として、救い主として、進んで行かれました。
それは、イエス様がすべてをお造りになった神のひとり子であり、父なる神の「解決」を持っておられたからでした。
そして、イエス様は、奢ることも、高ぶることもなく、ただ父なる神のみこころに従順に従って、 人々に仕え続けてくださいました。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、 贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」マタイの福音書20:25-28