さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、 ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、 食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。
「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、 貧乏な人たちに施しができたのに。」
マタイの福音書 26:6-9
退職届を出したことを知ったとき、両親は尋常でなく激怒しました。
長く勤めて、ようやく手に入れたステータスと年収を捨てることは、両親には理解できない愚かなことでした。
人は「価値あるもの」を得るためには、労力を惜しみません。
「愚か者」とは、「価値のないもの」に、財産、時間、力を使い果たす者です。
生活の糧を安定して手に入れることは、私にとっても決して小さなことではありませんでした。
けれど、人生において、最も価値あるものとは何でしょうか。
その女性は、イエス様に価値を見出し、当時の年収に相当する芳しい香油を注ぎました。
彼女にとって、その香油の価値は、次善のものでした。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。イザヤ書43:4
神は、罪にまみれた私たちにさえ、最高の価値を見出され、愛の交わりを回復するために、 神のひとり子イエス様を次善のものとし、私たちの身代わりに処罰され、神と人との和解を得させてくださいました。